So What?

思考の筋トレ...のための読書メモ。

#16:トゥルニエ,ミシェル(2009)『フライデーあるいは太平洋の冥界』(世界文学全集 2-9)河出書房新社

「『ロビンソン・クルーソー』の20世紀版があるらしいよ」とだいぶ前に教えてもらって、頭のどっかで引っかかっていて「機会があれば...」と思っていた。先日、紀伊国屋のじんぶん屋のブックリストの中に、本書が入っている事を知り、ならば、と手にとった。

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「戦士マルスは自分の孤独に気づいたのだ。彼は洞窟の奥に引きこもって、そこで自分の根源を再発見しようとする。ところが、こうして大地の真っ只中に入り込み、自分自身の奥底で旅をなしとげて、彼は別の人間になった」*1

冒頭に出てくる船長のこの予言が、本書の簡潔な要約になっている。

本書は、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を下敷きにして書かれている。デフォーが「ロビンソン」を書いたのは18世紀、そしてトゥルニエが「フライデー」を書いたのは20世紀だ。かつては無邪気に信じられていた「進歩と文明」の価値転倒を狙った思想小説。

ただ、共通点もある。

大自然に投げ出され、それなりに苦労もするが、文明人らしい生活を作り上げていく。自然の驚異や野生との共存といったテーマが描かれ、野性(採集・狩猟)から、文明(開墾・収穫)への歩みがストーリーのベースラインであり、遭難してから島を開拓するところまで同じような展開になる。フライデーが登場するまでは...。

描写の面ではセックスや狂気が強調されていて、ヨーロッパで啓蒙思想が主流となっていた17世紀後半から18世紀にかけての「理性の時代」の作品では、恐らく考えられない描写になっている。まるで現代が性と狂気がぶっちゃけられた時代であるかのようだ。

従来のロビンソンは、自然に還るのだから野性化してもよさそうなのに、まるで"観客"がいるかのようにふるまっていた。理性を保っていた。

しかし本書のロビンソンはとても切実だ。島とのセックスをくそ真面目に日記に書いたり、その日記にイザヤ書62:3〜4*2の引用をつけていたりする。*3

更に、もともと"観客"はおらず、性の相手もいないのだから、ロビンソンが島と交合するところは、読み手が"笑う"所なのだろうがロビンソンが独りでそんな事しているのはとっても痛々しく、切実で狂気じみている様に描かれている。

さて、フライデーが登場してから話が更におかしくなってくる。

この若者、ロビンソンの言うことをぜんぜん聞かないのだ。勤勉さや文明、労働の価値といったものをまるで受け付けない。どころか、そういった権威を笑い散らかして、茶化そうとする。開墾地や貯蓄物を台無しにする一方で、超人的な力を発揮して野生動物を仕留めたり、ロビンソンには考えもつかないような"遊び"を実現する。

フライデーの「笑い」により、ロビンソンが大事に持っていた権威は破壊される。西洋文明の権威とは暴力であり、武器だ!と言わんばかりに、爆薬が文字どおり大爆発して木っ端微塵になる。

島じゅうが灌漑、牧場、耕筰地だらけになり、麦は貯蔵庫から溢れんばかりになり、ヤギは飼いきれないほど殖えまくる。それでもなお、収穫し、簒奪し、貯蔵する。自らの努力のむなしさに気づきつつ、努力をやめようとしないロビンソンは、かなり滑稽に見てしまう。

そしてロビンソンは完全に変わってしまう。わたしたちが知っている文明の代表者の面を捨ててしまう。そして当初の予言「旅をなしとげて、彼は別の人間になった」が成就するのだ。

また28年間を過ごした後、帰国するはずのロビンソンが本作では帰国をやめ、島に留まる。

フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-9)

フライデーあるいは太平洋の冥界/黄金探索者 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-9)

意味の論理学 下

意味の論理学 下

完訳ロビンソン・クルーソー (中公文庫)

完訳ロビンソン・クルーソー (中公文庫)

*1:p.6

*2:62:3 あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり、あなたの神の御手の中で王冠となる。 62:4 あなたは再び「捨てられた女」と呼ばれることなく、あなたの土地は再び「荒廃」と呼ばれることはない。あなたは「望まれるもの」と呼ばれ、あなたの土地は「夫を持つもの」と呼ばれる。主があなたを望まれ、あなたの土地は夫を得るからである。

*3:p.108